2011年4月アーカイブ
「求めよ、さらば与えられん」
良く知られている新約聖書の言葉ですよね。
一般的に “心に強く願い続けることは必ず実現する” という意味に取られますが
そんなエゴな意味かなぁ?
最近、自分のことは棚に上げて的に、相手に対して求めすぎる人によく遭遇します。
特に仕事の場において、「発注する側」の人がそのパワーバランスに勘違いして
求めすぎるきらいを感じます。
「人のふり見て、我が身を律する。」そんな日本人の美徳を忘れているような。
つまり、冒頭の言葉の本当の意味は、
人や何かに求めるだけではなく、まず自らを律し、自らに求めることで、
その願いがかなうということではないだろうか。
どんなに上手な人も、要領のよい人も
けっして唯一、自分には嘘はつけません。ごまかせません。
自分に、がんばれるか。自分に、求めつづけられるか。
それが、今を脱する近道かなっと。
「常、無らず」と買いて無常。
この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないという仏教用語です。
昨日までのあたりまえにあったものが、今はなく、一変してしまう。まさに無常です。
だけど、そうであるならば、今の悲しみが永遠に続くことはなく、
必ず光りが見えてくると言うことだと思います。
今週読んだ素晴らしい言葉。
「よい結果は、希望の側にだけあります。絶望は愚者の結論。」
断片的なメディアのニュースで、泣いたり騒いだりおたおたしたり。
私の周りにも必要以上に危機感をあおる人たちがいますが、
本当につらいのは誰なのか。
絶望の暗闇の中、静かに耐えて、心の内側で深く泣いている人達のことを、
ちょっとは想像しましょうね。
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