TV-CM、R-CM、新聞広告、雑誌広告、折込ちらし、Webまでトータルな広告戦略をご提案する名古屋の総合広告代理店「ネクサス」

人がなにを信じようが勝手ですが・・・

以前より疑問だったことの最たるものは、宗教。

日本にも、いろんな宗教があるが

どれもちょっとあやしげな匂いがする。

だいたいが、(精神的・金銭的・カラダ的)弱った人が対象になるところが、ヘン。

必ずといっていい、御布施などのお金が背景にあるのもおかしい。

身近にも宗教活動に熱心な人が何人かいるが、

本当にその世界を信仰しているのか、疑問に思う。

それは、損得だったり、ビジネスベースだったり、おつきあいだったり

まじめに宗教を考えると、その活動の根源は、どうも解せない。

さらに謎なのが、欧米など外国は日本以上に宗教に対してシビアなこと。

日本でのよくある宗教トラブルでは、せいぜい家庭崩壊くらいのですが、

外国ではたびたび戦争(殺し合い)になったりしている。もう何千年も続いている。

精神的に幼稚な日本人より進んでいると思われる彼らも

「すがりつく何か」が必要なのでしょうか?人の「何か」を認められないのでしょうか?

その答えは、柳沢先生の漫画に明確に出ていました。

つまり、いにしえより日本では宗教は、

困ったとき・弱ったときの(すがりつくもの)(たよるもの)ですが

彼らにとっては、社会の「道徳」や「ルール」だということ。

なるほど!

それなら、わかる。

社会的あるいは経済的弱者が「すがりつく何か」ではなく

立派に社会を構成する一員としての「守るべき道徳」が、宗教なのですね。

これなら、バカ高い仏壇を買ったり、選挙の度に主張も主義もない候補者の応援をしたり

なんてことは、もう愚の骨頂としかいえない。

コメントする

Now Loading...

About this post

このページは、謎の其処が2010年12月20日 17:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「まぁ、こんなところで・・・という体力のなさ」です。

次のブログ記事は「本番はこれからです!」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。

QR Code

    携帯カメラでカシャッと簡単、全キャリア対応