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2010年12月アーカイブ

人がなにを信じようが勝手ですが・・・

以前より疑問だったことの最たるものは、宗教。

日本にも、いろんな宗教があるが

どれもちょっとあやしげな匂いがする。

だいたいが、(精神的・金銭的・カラダ的)弱った人が対象になるところが、ヘン。

必ずといっていい、御布施などのお金が背景にあるのもおかしい。

身近にも宗教活動に熱心な人が何人かいるが、

本当にその世界を信仰しているのか、疑問に思う。

それは、損得だったり、ビジネスベースだったり、おつきあいだったり

まじめに宗教を考えると、その活動の根源は、どうも解せない。

さらに謎なのが、欧米など外国は日本以上に宗教に対してシビアなこと。

日本でのよくある宗教トラブルでは、せいぜい家庭崩壊くらいのですが、

外国ではたびたび戦争(殺し合い)になったりしている。もう何千年も続いている。

精神的に幼稚な日本人より進んでいると思われる彼らも

「すがりつく何か」が必要なのでしょうか?人の「何か」を認められないのでしょうか?

その答えは、柳沢先生の漫画に明確に出ていました。

つまり、いにしえより日本では宗教は、

困ったとき・弱ったときの(すがりつくもの)(たよるもの)ですが

彼らにとっては、社会の「道徳」や「ルール」だということ。

なるほど!

それなら、わかる。

社会的あるいは経済的弱者が「すがりつく何か」ではなく

立派に社会を構成する一員としての「守るべき道徳」が、宗教なのですね。

これなら、バカ高い仏壇を買ったり、選挙の度に主張も主義もない候補者の応援をしたり

なんてことは、もう愚の骨頂としかいえない。

最近、自らに最も欠けていると思うのは、ズバリ体力です。

ということで早速始めました

朝のランニング(ほぼウォーキングですが)&夜の腕立て伏せと腹筋トレーニング

けっこう続いています。

もともと体育会系でストイックなことが好きな方ですが

40代になり、動く前についつい考え込むクセがついてしまっている。と感じる。

思考の中で、あきらめ・力つき・退散・・・なんてなさけないことも良くあります。

経験や知恵がついて、分別がわかってきたと言えなくもないですが、

これは、「考える体力」が落ちてきてるのかも・・・。

企画やアイデアを商売にしている人はわかると思いますが

「考える」という作業は相当体力がいります。

思うに広告の仕事では比較的若い人が活躍できるのは、斬新でやわらかい発想ができるというより

実は、考え続ける体力があるからなのです。

深夜、カップ麺だけで何時間も答えの見えないものと相対する。

そこには、自我と打算と予算と人間関係と・・・体力いりますよ、これは。

イギリスの超有名寄宿学校の入学試験のメインは、マラソンだそうです。

つまり、考える(答えがでるまで考え続ける体力)があるかどうか、を重視します。

勉強の知識などは、その後の取るに足りない事だそうで。

知恵やアイデアの根源は、体力なのです。

尊敬する漫画家(柳沢きみお先生)もあの多忙な中、何十年も水泳などを続けているらしい。

間違いない!(古っ)

タイガーイ・うつ?

恒例の早朝出勤よりお送りいたします。

最近の新聞記事から最も気になったものといえば、
やはり、いっこうに減らない自殺者の統計でした。
経済的崩壊から若い人も増えているようですが、
特に同世代、40代以上の大人の男の自殺増加が目につきます。

40代といえばバブルをかじった最後の世代でしょうか。
物質的な豊かさの中で(どう生きるか)をエゴ的に求めすぎると
行き着く先は「死」への甘美な誘惑なのでしょうか。
本当は(生きてるだけ)で十分なはずなのに、そちらの世界へ行った人々。
ノー天気な若いときは、まったくもってout of 眼中でしかないことでしたが、
人生の折り返し地点をすぎた私にも、少しその気持ちが理解できるようになった。

これは、危険なサイン?

こんな感じで人は宗教に目覚め、すがりついていくのでしょうか。
自分の中では処理しきれない(あんなこと、こんなこと、そんなこと・・・)
そのすべて抱えて、出家していくのでしょうか。

物質世界にない何かが、精神世界にはあるのでしょうか。

といいつつも、roto6の発表に毎週ドキドキしている私は、何なの?

紀元前ローマの哲学者(マアエーカ)は言いました。
曰く「 君よ、考えるな。決を導くな。理屈を作り出すな。それが神から与えられた命を全うする唯一の策だ。むしろ、そのバカ頭では、考えれば考えるほど真実は暗闇に融けていく。」と。

その通りですね。

「自業自得」という言葉があります。

全ての現象の起点は自らの業によってあること。
ひらたく言うと(やったことは、かえってくる。)ということにも発展させられます。

そこから人は何を学び、どう行動の指針をとるのだろうか?

良い状態の時には、来たるべき悪い時に備え、逆に悪い状態の時には、投げださずに耐え忍ぶ。
せいぜいが、こんなところでしょうか。
だけど、もっと深い所の「業」について考えてみると・・・
もはや宗教的世界へ旅立ちいたずらに迷走するばかり。

すべては、人のせいではなく、自分のせい。
お前がお前であるがゆえに、ということですね。

痛感する今日この頃。
仕事においてもプライベートでも、なるべくなら、みにくい自業を飼いなしたいものです。

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